THE 有頂天ホテル

2006年2月26日 映画
今頃になって観てきましたよ。まあそこそこには笑えたのだけど、東京サンシャインボーイズの「ラヂオの時間」を観てしまった人間としては、やっぱり何か違うなーと。全然あのレベルに届いてない。2時間半の長尺を見終わった時には、「三谷さん、どうしてこんな映画でそのあふれる才能を浪費するの、早く舞台に戻ってきてよ!」という切ない気持ちで一杯になった。

でもそれからまた考えていたのだけど、三谷幸喜は自分が「ラヂオの時間」やら「ショー・マスト・ゴーオン」といった舞台作品を超える映画を作れていない、ということを自覚した上でこうした試みを延々繰り返しているのではないか。そして、舞台ではなく「映画」や「テレビ」という、それぞれの場でしかできないこととは何かを一生懸命考えているのではないかと。そんなことを思った。

ただ、今回はその「映画でしかできないこと」が状況設定に寄りすぎているという気がした。確かに隣同士のスイートルームで起こる出来事が、壁一枚を通じて隣の部屋の人物に影響を与えるというのは設定として面白いし、舞台でこれをやってみせようとしても無駄に面倒なだけだ。だがそれが本当に「映画でしかできないこと」なのか。三谷のチャレンジは、何か方向が間違ってないか。

Amazonに「有頂天ホテル」を非常に的確に批評したコメントが書いてあった。「三谷幸喜は、察するに和製のビリー・ワイルダーか、二ール・サイモンあたりを狙っているのだろうが、ひとつだけ彼らにあって、彼に足りないものがある。それは色気である。」いや、「狙っているのだろう」どころか、日芸時代の彼の仲間たち(今回の映画にもたくさん出ている)と作った劇団の名前が「東京サンシャインボーイズ」というぐらいだから(「サンシャインボーイズ」はニール・サイモンの劇のタイトル)、彼がそこを目指しているのは間違いないのだ。

問題は、彼がコメディの脇筋の「泣かせどころ」として、登場人物が「自分の職務に狂おしいまでの必死さで取り組む姿」を描くという技しか持てないでいることにある。今回でいうと、例えば副支配人の新堂(役所広司)と受賞者の妻・堀田由美(原田美枝子)との複雑な情感を、この程度にしか演出できないというのだけで、彼がいかに脚本家・演出家として「愛や恋」が苦手かということが分かる。

これだけのウェルメイド・コメディを描ける日本を代表する脚本家かつ演出家が「ほろ苦い愛や甘酸っぱい恋」を描けないというのは、もはや極めて深刻な事態だと思う。三谷幸喜は一度シチュエーション・コメディの路線から足を洗って、ガーニーの「ラヴ・レターズ」あたりの演出をじっくりやってみたりしたらいいんじゃないだろうか。大人の恋、人間の愛というものが三谷コメディで大笑いした後の余韻として感じられるようになったら、その時こそ日本最高の喜劇作者が誕生すると思うのだが。

DVD 大晦日、様々なイベントが目白押しでごった返すホテル・アバンティ。そんな時に副支配人の新堂は別れた妻と再会。妻は再婚していたが、その再婚相手はホテルの目の上のタンコブであるコールガールのヨウコと浮気を。そんなことは知らぬ新堂は、つい元妻に見栄を張って大嘘をついてしまう……。という話はごく1部。主な登場人物だけで20名…
 休みに見に行ったんだが、来てるのはちょうど同じ年齢ぐらいの人たちばかり。ざっくり3分の1がティム・バートンファン、3分の2が昔原作の絵本を読んだクチじゃないだろうか。

 で、館内に子供がいない(笑)。観客の皆さん、よく分かっていらっしゃる。こんな映画、子供に見せたら気持ち悪がって卒倒するよ。小学生ぐらいになって絵本を読ませて、これがフィクションだって分かるようになってからしか連れてっちゃダメだろ。

 しかしそれにしても見事なまでに絵本の原作に忠実だ。絵本の内容を覚えている僕としては、あんなもん絶対映画化できんだろとか思っていたが、最先端のCG、アニマトロニクス、特撮技術を持ってすれば不可能はなかった。凄すぎる。

 しかも、ティム・バートンならではの演出がまた心憎いほどにうまい。オマージュ、パロディがてんこ盛り。ジョニー・デップ演じる魔法のチョコレート工場の主、ウィリー・ウォンカがマイケル・ジャクソンそっくりなのはまさにそれ。ウンパ・ルンパの顔が全部同じなのも凄い衝撃(笑)。いやーもう、やってくれます。

 Amazonの批評を読むと、なんかしきりに教訓話を読みとりたがってる人とかもいるようだが、そんなんどうでもいいよ。この作品の面白さは、年端もいかないガキには絶対に見せられないようなぞっとするブラックジョークがこれでもかと繰り返されるところなのだ。ブラックジョークに道徳的教訓なんか読み取ろうとしないでくれって感じ。

 個人的には、一番最後のシーンが一番良かった。傾きかけのボロ家に降りしきる雪の正体を見て、唖然。あのエンディングは原作にはなかった。でもティム・バートンの創作によって、ブラックで恐ろしげなあの物語にすごく温かみが加わった気がする。

 チャーリー役の演技も素晴らしかったな。「子供らしい素直さ」というのはああいうことを言うのだろうが、さて実際あんな子供がどこにいるか。子供論を議論し始めるときりがなくなるのでこのあたりでやめておこうと思うが、エキセントリックな他の4人の子供とチャーリー、そして最も“子供”なウィリー・ウォンカの対比も、いろいろと考えさせる。いずれにせよ、秀逸な映画だと思う。

DVD 監督ティム・バートン、主演ジョニー・デップの4度目の顔合わせは、ロアルド・ダール原作の人気ファンタジーの映画化。ウォンカ氏が経営する巨大なチョコレート工場に、5人の子どもたちが招待され、驚くべき体験をする。5人のなかで、唯一、貧しい一家の少年チャーリーで、天才子役のフレディー・ハイモアが名演技を披露している。ほぼ原…

信長の棺

2005年8月1日 読書
 たまたま手に取る機会があって読んだのだが、歴史小説としてはユニークではあるものの、よく考えると設定にかなり無理がある部分が散見されるし、またミステリー小説としてみた時のプロット設計があまりにもクソ。作者は官僚出身の経済評論家としておそらくそれなりに優秀な方なんだろうが、入魂のデビュー作で作家としての素人ぶりがいかんなく発揮されてしまったという、絶妙なアンバランスの1冊だった。【以下、ネタバレあり】

 「信長の遺骸が本能寺から見つからなかった」という歴史の事実1つを元に、「実は信長を殺したのは秀吉だった」という大胆な仮説を立証する事実をとにもかくにもかき集めて見せたのは、並はずれた想像力と調査力の逞しさというほかない。これについては一応ほめておこう。信長が京での常宿を本能寺にしていた理由、またそこにほとんど手勢を持たずに投宿していた理由などが明かされる。

 だが、プロット以前にそもそものロジックとして微妙なのが、本能寺からの脱出トンネルをなぜ秀吉が知っていたのかという部分が明かされてないことだ。通常、この手の主の生命にかかわる部分というのは、主の命を奪える立場にある者には決して教えないというのがルールのはずだ。もし信長がまともな感覚の武将であれば、トンネル掘りは本能寺砦の普請とは別の人間にやらせ、仕事が終わった後で関係者を全員暗殺させただろう。

 それを、こともあろうに秀吉とその配下の丹波勢の頭領、前野将右衛門が知っていたというのはかなりおかしな話だ。秀吉だって信長亡き後は前野一族を徹底的に抹殺しているわけだし、自分の命を狙う恐れのある奴は誰だろうと消すのが当然と思うのだが、この点で信長の脇の甘さに根本的な疑問を抱く。

 あと、近衛前久をはじめとして明智光秀を陥れた朝廷側の動きと秀吉とがどうリンクしていたのかも明かされていない。前久が本能寺の防備が手薄であることを光秀に教えるシーンが出てくるが、だいたい光秀はまずなぜそんなことを前久が知っているのかを疑うべきだろうし、御帝との唯一の窓口であった前久の背後にどんな情報源があるのかさえ探っておかないというのは、信長麾下のトップクラスの武将だったにしては判断が甘すぎだろうと思う。

 それからミステリーとしてのプロット設計だが、こちらはもっとダメダメだ。信長の伝記作者だった太田牛一に遺骸探しの「探偵」もやらせる配役は面白いが、現実には(著者自身がそうであるように)肝心な部分が想像だらけという、「探偵」としては欠陥のかたまりの姿を、そのまま何の衒いもなく順番に読者にも見せてしまっている。おいおい、そりゃないだろという感じだ。

 しかも、肝心の答えはすべてたまたま史料屋が寄越した女スパイの親族が全部知っていて、女スパイが70歳のじいさんに惚れて身の上ゲロって子供までできちゃったので教えてもらえることになりましたという、身も蓋もない設定。謎解きのあまりの安直さにミステリファンとしては泣ける。

 百歩譲って南蛮寺回りの部分を清如から教えてもらわざるを得なかったとしても、せめて牛一自身の想像の部分は前半で集めた断片的な事実を清如との対話の中で推理しながら構成して見せるというぐらいの芸は披露できなかったのか。そうすれば、16年の間にこっそり調査しておきながら前半では読者にも明かさなかったこと、という設定で安国寺恵慶と秀吉との秘密会談の事実とかも、あたかも調べはついていたかのような顔をして述べられたと思うのに。

 あと、途中でホームズばりの推理で牛一の正体を見抜いてみせる愛宕神社の神官、田屋明人に、後半で何の役割も当てられてないのががっくり。もったいなさすぎる。実は田屋と才蔵がぐるだったとか、そういうオチを用意できないのでしょうか。

 というわけで、歴史小説ものとして最初の着想はグッド、プロ顔負けの資料集めにも及第点はつけるものの、ミステリーとしての詰めの甘さやプロットのぐだぐだぶりに大きなマイナス点をつけ、2作目の奮起に期待したい。文章はとても読みやすいので、そのへんが上達してくれば大型新人の目はあると思う。

 あ、悪口ばっかり書いたけど、一つだけすごく心に残った言葉があった。「奇跡の勝利などというものはない」。これは深い言葉。ビジネスや人生、あらゆるところに当てはまる。この本から得た最大の収穫は、歴史においても奇跡の勝利などというものはないことが分かったこと、かな。

ISBN:4532170672 単行本 加藤 廣 日本経済新聞社 2005/05/25 ¥1,995
もう、大好きなんですよこの映画。Amazonで予約して発売と同時に手に入れて毎日見まくり。最先端のCG技術に次々チャレンジして、3DCGで作れる映像表現の限界に挑戦するPIXARのアーティストたちにシビレる。

本編のストーリーの練り込み具合も相変わらずの緻密さが徹底していて感動するんだけど、より面白いのは監督のブラッド・バード自らが本編に合わせてしゃべっている音声解説。どこのストーリーにはどんな意味を込めたとか、どこの映像表現がどれほど難しかったかとか、本編だけ見ていたら分からない裏話が満載。Mr.インクレディブルが穴の空いた古いスーパースーツに手を通してため息をつくシーンで「ここだよここ!この何気ない動作がアニメーターたちには死ぬほど難しかったんだ!」と叫んだりするのにはかなり笑った。

PIXARのすごいところは、あれだけ毎回キャラの立った登場人物を作り出しておきながら、それをシリーズ展開しようとしないところ。今まで「2」が出たのって「トイ・ストーリー」ぐらい。これまでの蓄積で食っていこうとせず、毎回ゼロから新しいものを作ってやるという執念がすごいからだろうけれど、「Mr.インクレディブル」は、ぜひ「2」も作ってほしいなあ。

一方、残念だったのは特典ディスクのNG集。「モンスターズ・インク」の時はエンディングロールで出てきたNGフィルムが(それ自体も本物の映画のNG集に似せて作った本気CGだったけど)ものすごく面白かったんだけど、今回は本編のCGを作るだけで燃え尽きてしまったのか、ただの「未完成CG作品集」になっていた。いわば、完全な楽屋落ち。顔にポリゴン張ってない人物とか、作りかけのCG見せられても、素人には全然面白くない。

むしろDVD買って良かったなあと思ったのは、赤ちゃんのジャック・ジャックとベビーシッターのカーリが、家族がシンドロームと戦ってる間に何をしていたかというエピソード「ジャック・ジャック・アタック!」が見られたこと。これはかなり面白かった。映画本編の上映の前に「バウンディン」とかのショートフィルムを付けるんじゃなくて、エンドロールの後にあれをつけたりしてたら、たぶんもっと面白かったに違いない。

DVD ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント 2005/06/15 ¥2,940 かつてスーパー・ヒーローが活躍していた時代があった。しかし、彼らのパワーは時に破壊をまねくこともしばしで、やがてその活動を禁止された。それから15年、今はしがない保険会社の一社員として働く鬱屈した日々の中、けなげに妻子(彼女らもまたスーパー・ヒーロー)を養うボブのもとにスーパー・ヒーローとしての仕事が密かに舞い込ん…
 GW中にどこにも出かけなかった分、ヒマを見つけて映画を見られた。これもその1つ。前田有一氏の「超映画批評」では、表ブログに書いた「交渉人真下正義」よりも点数高かったな。確かにある意味面白い映画だった。

 一番良かったのは、キアヌとレイチェルが最後までキスしなかったことだな(笑)。ハリウッドの常識に真っ向から挑戦してるとこが良い。あとは、実はこれって単なる禁煙映画(爆)だってことかな。たばこ嫌いな僕としては「素晴らしい」の一言に尽きる。

 キリスト教とかカルト関連の知識は、それなりにあった方がよさげ。最初に聖槍がハーケンクロイツの旗にくるまれた状態で出てくるところからして、その背景がワカラン人間には「???」で終わってしまう可能性高い。でもこういう知識ってどこで仕入れればいいんだろうな。結局これまでその手のサブカルにどのくらい接触してきたか、みたいな人生経験が問われちゃうのだろうか。

 地獄とか悪魔の描写は、なんつーか最近の西洋の悪魔イメージってああいう無脳人間的なものってことになってるのだろうか。僕は日本人なので、悪魔というとやっぱり頭に2本の角の生えた黒い生物を想像しちゃう(それってバイキンマン?)のだが、あの無脳悪魔にはむしろワンパターン的な違和感を感じてしまう。

 マニアには肺ガン末期で不健康極まりないダークヒーロー的エクソシストというのが「設定として新しい」のだそうだが、オカルトに興味ない僕としては「28へぇ」程度であまりインパクトはない。むしろ大天使ガブリエルの役者の人間を超越したような演技力がすごかった。ああいう役者が存在しちゃうことが、やはり邦画が洋画に決定的に見劣りする理由の1つなんだろうな。

内容:アメコミ「ヘルブレイザー」を原作に、キアヌ・リーブスが、『マトリックス』に続いて救世主的なヒーローを演じる、ホラーテイストのアクション。この世には、悪魔や天使が宿った人間が生息しており、私立探偵のジョン・コンスタンティンは、彼らを見分けることができる。死後、自分が地獄へ送られる運命にあると知った彼は、悪魔を倒すことに…。
ココログやる気END。どうせ書いてたの長い原稿だし、明日アップにしよっと。

それにしても立花隆、やっぱりnikaidou.comに釣られてたのか。ダサッ
http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/050406_comment/index.html
なんか「信頼の度合いを4.5から2.5へ…」とかわけわかんない言い訳してるけど、要するに「釣られましたすいません」とか言えばいいのに。

なんかよく読むと「俺は分かってたけど編集者が直す前の原稿を勝手にアップしてた」ってふうに読めるな。まあ、立花君ならそうやって責任をよそになすりつけないと、それこそライターとしての信頼が崩れる…とか思ってやってるんだろうけど、

磯崎氏曰く「公開情報もちゃんと読まずに」書いているあなたのことなんか、ネット界の人今さら誰も『信頼』なんかしてませんから!残念っ!!って感じかなあ。勝手に言い訳しとってくれ。

とか言っていたら、またまたガ島通信がオモロイケンカを売っている。いやー、新聞業界内部告発って感じで最高だ。
http://blog.livedoor.jp/zentoku2246/archives/18097594.html
だいたいあれですよ、ビデオリサーチなんて嘘データでっち上げるために汐留の上の方とかが作った会社だから、お金出せばどんな嘘だって言ってくれるさあ。

世の中向けには嘘データばらまいててもいいけど、そんなもん自社の社員に信じさせてどうするよ?一番信じてるのは自社の社員だったりもするしな…マスコミって寒っ。
ココログ話にならねー。自分のブログが書けないだけじゃなくて、他人のブログにもコメントさえつけられない。
http://info.cocolog-nifty.com/info/2005/03/2005317_0700120.html
かんべんしてください。こっちはブログ中毒患者なんです。
(原題"Buffalo Soldiers")監督グレゴール・ジョーダン 出演ホアキン・フェニックス、アンナ・パキン、エド・ハリス 詳細はこちら
http://pocketwarmer.blogzine.jp/movie/2004/12/__10.html

 何となくシネカノンで映画が見たくなってふらっと行ったら、ちょうど上映開始時刻だったので入ってみた。

 冷戦の終わりの西ドイツに駐留する米軍の補給部隊で繰り広げられる資材横流しや麻薬取引の悪事の数々。でもこの手のダーティーな話を扱っている割には緊迫感がかけらもない。時々テレビに映る東西融和やベルリンの壁崩壊のニュースが、戦争とますます遠くなるだらけきった基地内のムードを一層際だたせる。

 映画生活さん(http://www.eigaseikatu.com/title/10967/
)のレビューによると、役者陣は相当豪華かつ堅実な布陣なのだそうで、確かにミスマッチを感じる役者はあまりいなかったなあ。誰もがうまい演技だった。あえて言えば、日本人の僕にはバーマン大佐とリー軍曹との見分けがつきにくかったことかな。バーマン大佐の方に、もう少し恰幅の良くていかにも人の良さそうな中年俳優を当てれば良かったかも。

 ブラックコメディーのくくりに入るみたいだが、まともな感覚の日本人なら市やガススタンドを戦車に踏み潰される西独の人々に感情移入しちゃうので、全然笑えないよきっと。

 あえてそのへんから離れて見るとしたら、「最高のバカと最低のバカが集められて武器弾薬を持たされたら何をするか」みたいな、どいつもこいつも人間としてこれ以上ないぐらい腐臭の漂う連中の生き様をじっくり見る映画って感じかな。見終わった後に4文字単語叫んで唾を吐きたくなる。糞野郎どもはどこに行っても糞野郎だ。

 逆に言えば、日本人としては「ああ俺の会社がこれほど糞野郎のたまり場でも、これほど武器弾薬があふれ返った場所でもなくて良かったよホントに」って胸をなで下ろすっていうのが正しい反応じゃない?

 米国では男女同権とか言って女性も軍に入れるけど、こういうの見ると軍に勤務する女性なんてホントに何考えてんだかっていう気になるし、ま、そういう奴が軍に入るんだな、あのアブグレイブ刑務所のリンディー・イングランドなんかもそうだ。別に珍しい話でも何でもないだろうね。

 どろどろしたぬるくてゆるい話の最後がまた何とも言えない小気味の悪さ(変な言葉遣いだけど、何となくそういうイメージ)。アンナ・パキンはあんなにいい女なのに、それをものにしちゃうなんて本当に「悪い奴ほど長生きする」んだね。

 少々うしろめたいことしちゃったときなんかに見ると、「こいつらに比べたら俺なんて全然良心的な人間じゃん!世界万歳!」みたいに思えてくるイイ(・∀・)!!映画(笑)。
ISBN:4492501312 単行本 堀江 貴文 東洋経済新報社 2004/11/26 ¥1,365

 「世の中にカネで買えないものなんてあるわけないじゃないですか」とか、保守穏健派の良心を思いっきり逆撫でする数々の暴言で財界長老どもに毛嫌いされているライブドアの堀江社長なわけですが、まあそう言って彼を批判する奴らはまずこの本読んで、この程度のレベルのことが自分の会社でできてるのかどうか胸に手を当てて考えてみろと。

 1日5000通のメールを読むとか、そんなことは正直どうでもいいと思う。この本の前半に書かれているのは、知的付加価値を生み出すことを生業とするワーカーに、いかにその才能を存分に発揮させるかという新世代のマネジメントの基礎だ。これこそ「ホワイトカラーのためのトヨタ生産方式」と言ってもいい。

 ライブドアの社員1人1人が毎日書く日報メールが、仕事の進捗確認、アイデア創出、モチベーションアップ、社員同士のクチコミ昼食情報にまで活用されている。それだけではない。メールの内容はプロジェクトや業務内容ごとに分類されてSAP/R3にインポートされ、全社レベルでのプロジェクト、事業などの活動基準原価計算(ABC)にまで活用されているのだ。

 大切なことは、こうしたメールをベースにした業務管理システムが、決して「仕事をさぼらないよう管理するために使われているのではない」という点だ。むしろ社員の声を率直に受け止めるために、日報のちょっとした一言を基点にして社長と社員の直接の議論が巻き起こったり、社内メルマガが創刊されたりする。性善説に基づいた管理、それがホワイトカラーに最大の知的出力を継続させるためのカギである。

 人間は毎日報告を書けと言われたら、「今日は何もやりませんでした」とは決して書かないものだ。そして、やりもしないことをやったと書く人間も、ごくわずかしかいない。ホワイトカラーに日報さえ書かせない会社が大企業でも無数にあるが、そういう会社のお偉いさんは経営とかマネジメントについて偉そうなことを言う前に、まずこの本を読むべきであると僕は思う。
セリーヌ・ディオン CD ソニーミュージックエンタテインメント 1998/10/31 ¥2,520

クリスマスも近づいてきた。最近毎日聞いているアルバム。なんか落ち着くよね〜。皆さんにもお勧め。
ISBN:4478760934 単行本 石原 由美子 ダイヤモンド社 2004/12 ¥1,470

正直言って、帯とか裏表紙に出ている格言だけ読めば十分な本。中身読む必要なし。

発想としては分かるんだよね。これから日本も階級社会ですから。今さら政財界トップになんかなれねーよ、と思ってる若い連中がどうやってモチベートアップして日常を暮らすべきかっていうの。別にいいじゃん、大金持ちにならなくても権力者にならなくても、毎日が楽しければ。

それでも残るのは、結局そういう思考で生きること自体が消費をひたすら押しつけてくる資本主義の権力に巻かれることにほかならないんじゃないのかっていう問題。

この手の話って、ある程度「分かっちゃった」人にとっては、気休めにしかならない気がするんだよね。だったら「広告から身をかわす方法」とかをまとめてもらった方がずっと脱・資本主義っていう意味ではためになる気も。

読んで失敗した、と思った本でした。おしまい。

ハウルの動く城

2004年12月19日 映画
まあ、アレですよ。そこらへんのブログのレビュー見ても「ハウル最高!」「カルシファーか〜わい〜!」「キムタク様めろめろ〜」みたいなバカっぽいコメントばっかでさ、

おまえら氏ね

とか呪詛の言葉吐きたくなるわけですよ、宮崎駿夫作品見てそういうこと言う奴には。もちろんハウルを呪いたいわけじゃないんですけどね。っていうか呪いかけてくれ俺にorz

でハウルなわけですが、まっとりあえずジブリがお送りするデートで最高に無難なひととき!ってな解説が真っ当なのかと思うわけですが、「千と千尋」が年端もいかない女の子に源氏名つけて客商売させる現代の性風俗産業を描いたとか言われた以上、「ハウル」にも社会ネタはないのか!と飢え彷徨う巨神兵みたいな方もいらっしゃると思いますのでそのあたり解説を。(以下ネタバレ)

個々のシーンはすげえきれい、チョー格好いいのに物語全体で何が言いたいのかわかんないよ!っていう方もいらっしゃると思うのですがそこはソレ、宮崎君の仕掛けた罠にはまっているわけですよ。カブとかどうでもいい奴は安直な魔法しかかかってないわけだが、ソフィーとハウルとカルシファーにかかった魔法はどうやったら解けるのかは最後まで説明されないわけだ。説明されないけれども最後には何となく皆さん解けている。

作品を見た人は、「ソフィーとハウルにかけられていた魔法はどんな呪いだったのか?」と考えることで、バラバラの物語を「つなげて考える」ようにし向けられているのだ。いわゆるファンタジーにありがちな手法である。

細かく見れば、サリマンはいったい何ですぐ戦争を止めなかったのかとか、もしかしてハウルの更正のために戦争してたんかよ!とか、突っ込みどころ満載なわけですが、そのあたりも最後がハッピーエンドだっていうことで全部隠蔽。デート向け映画はいいですなあ。そんな中、男1人で見に行った俺は完膚無きまでの負け組orz

んでもって史上最強のハウル批評はこちら→http://d.hatena.ne.jp/nekoprotocol/20041122#1101102875
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