信長の棺

2005年8月1日 読書
 たまたま手に取る機会があって読んだのだが、歴史小説としてはユニークではあるものの、よく考えると設定にかなり無理がある部分が散見されるし、またミステリー小説としてみた時のプロット設計があまりにもクソ。作者は官僚出身の経済評論家としておそらくそれなりに優秀な方なんだろうが、入魂のデビュー作で作家としての素人ぶりがいかんなく発揮されてしまったという、絶妙なアンバランスの1冊だった。【以下、ネタバレあり】

 「信長の遺骸が本能寺から見つからなかった」という歴史の事実1つを元に、「実は信長を殺したのは秀吉だった」という大胆な仮説を立証する事実をとにもかくにもかき集めて見せたのは、並はずれた想像力と調査力の逞しさというほかない。これについては一応ほめておこう。信長が京での常宿を本能寺にしていた理由、またそこにほとんど手勢を持たずに投宿していた理由などが明かされる。

 だが、プロット以前にそもそものロジックとして微妙なのが、本能寺からの脱出トンネルをなぜ秀吉が知っていたのかという部分が明かされてないことだ。通常、この手の主の生命にかかわる部分というのは、主の命を奪える立場にある者には決して教えないというのがルールのはずだ。もし信長がまともな感覚の武将であれば、トンネル掘りは本能寺砦の普請とは別の人間にやらせ、仕事が終わった後で関係者を全員暗殺させただろう。

 それを、こともあろうに秀吉とその配下の丹波勢の頭領、前野将右衛門が知っていたというのはかなりおかしな話だ。秀吉だって信長亡き後は前野一族を徹底的に抹殺しているわけだし、自分の命を狙う恐れのある奴は誰だろうと消すのが当然と思うのだが、この点で信長の脇の甘さに根本的な疑問を抱く。

 あと、近衛前久をはじめとして明智光秀を陥れた朝廷側の動きと秀吉とがどうリンクしていたのかも明かされていない。前久が本能寺の防備が手薄であることを光秀に教えるシーンが出てくるが、だいたい光秀はまずなぜそんなことを前久が知っているのかを疑うべきだろうし、御帝との唯一の窓口であった前久の背後にどんな情報源があるのかさえ探っておかないというのは、信長麾下のトップクラスの武将だったにしては判断が甘すぎだろうと思う。

 それからミステリーとしてのプロット設計だが、こちらはもっとダメダメだ。信長の伝記作者だった太田牛一に遺骸探しの「探偵」もやらせる配役は面白いが、現実には(著者自身がそうであるように)肝心な部分が想像だらけという、「探偵」としては欠陥のかたまりの姿を、そのまま何の衒いもなく順番に読者にも見せてしまっている。おいおい、そりゃないだろという感じだ。

 しかも、肝心の答えはすべてたまたま史料屋が寄越した女スパイの親族が全部知っていて、女スパイが70歳のじいさんに惚れて身の上ゲロって子供までできちゃったので教えてもらえることになりましたという、身も蓋もない設定。謎解きのあまりの安直さにミステリファンとしては泣ける。

 百歩譲って南蛮寺回りの部分を清如から教えてもらわざるを得なかったとしても、せめて牛一自身の想像の部分は前半で集めた断片的な事実を清如との対話の中で推理しながら構成して見せるというぐらいの芸は披露できなかったのか。そうすれば、16年の間にこっそり調査しておきながら前半では読者にも明かさなかったこと、という設定で安国寺恵慶と秀吉との秘密会談の事実とかも、あたかも調べはついていたかのような顔をして述べられたと思うのに。

 あと、途中でホームズばりの推理で牛一の正体を見抜いてみせる愛宕神社の神官、田屋明人に、後半で何の役割も当てられてないのががっくり。もったいなさすぎる。実は田屋と才蔵がぐるだったとか、そういうオチを用意できないのでしょうか。

 というわけで、歴史小説ものとして最初の着想はグッド、プロ顔負けの資料集めにも及第点はつけるものの、ミステリーとしての詰めの甘さやプロットのぐだぐだぶりに大きなマイナス点をつけ、2作目の奮起に期待したい。文章はとても読みやすいので、そのへんが上達してくれば大型新人の目はあると思う。

 あ、悪口ばっかり書いたけど、一つだけすごく心に残った言葉があった。「奇跡の勝利などというものはない」。これは深い言葉。ビジネスや人生、あらゆるところに当てはまる。この本から得た最大の収穫は、歴史においても奇跡の勝利などというものはないことが分かったこと、かな。

ISBN:4532170672 単行本 加藤 廣 日本経済新聞社 2005/05/25 ¥1,995

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